【本日の目次】
能登半島地震で被災された方からのご依頼~はじめに
能登半島地震で被災された方から鍼灸治療のご依頼をいただきました。
この記事では、ご本人の実際の体験談と鍼灸治療について書いています。
地震で被災経験がある方の中には、ほかの土地、ほかの人の体験談のことであっても読むことで被災されたときの記憶がよみがえる方もいらっしゃるかもしれません。
もし、そうなったら記事の途中でも読むのをやめて、ご自身がリラックスできることを優先して行ってください。
地震に関係なく、不安を感じた時にどんな鍼灸治療があるかの記事については、他の記事でご紹介しています。リラックスするための方法などもご紹介しているので、そちらをお読みいただくことをおすすめします。
また、この記事で書いてることは、実際の体験談とはいえ、1つのケースです。
被災された方それぞれに個別の体験や感じ方、記憶の残り方、今の状況などがあります。
そのため、この記事の内容とは違うことを感じたという方もいらっしゃるかもしれません。
今回の内容は、1つのケースであることをご了承の上、お読みください。
症状について
能登にご実家がある30代女性G様。
普段は東京でご夫婦お二人暮らしをしていらっしゃいます。今回はそれぞれのご実家で年越し~お正月を過ごそうとご計画されているとのことでした。
久しぶりのご実家でのお正月を迎えられることを楽しみにされていらっしゃいました。
ところが2024年元旦に起きた「令和6年能登半島地震」でG様はご実家で被災されました。
2月に入り鍼灸治療のご依頼をいただきました。
・被災された状況
帰省中に家族団らんで楽しく過ごしているときに大きな揺れに見舞われたG様。
能登半島地震でした。
慌てて外に出てみると、2階建てのご実家がペシャンコになり、2階の部屋が地面の上にあって潰れている...その非現実的が光景が「おもちゃかアニメみたい」と感じたそうです。
同時に地震が起きて被災したことを実感した瞬間だったそうです。
突然、避難所生活が始まったG様。
東京での生活では食欲がなかったり、外食すると胃もたれしていたG様。
しかし地震という緊急事態では、無意識に「生きなきゃ!」というチカラが発動するのか、胃もたれなど全くなく、食べたり動いたりこんなにできるんだと思ったそうです。
ご両親は倒壊した家の片付けをしなくちゃと話しているそうですが「多分、片づけても片付かないと思う。そのレベルの壊れ方だから」とのこと。
それでも長い年月、この土地で生きてこられたご両親のお気持ちに寄り添いたいという想いがG様にはあり、片付けるならその作業を一緒にやっていきたいと思われたそうです。
・避難生活を離れて感じたこと
倒壊した家の片付けをしたい父と、疲れ切って片付けをあきらめている母のサポートを続けようと避難所での生活が1か月になる頃、両親と親戚の説得をうけ、ひとまず東京へ戻ることになった、というG様。
金沢から電車に乗るため親戚の車で金沢市内へ向かっていく間に、車窓から見える風景が「これまでと変わらない日常生活を送っている街の風景」になってショックだったとのこと。
地震から約1か月経っていて被災地へ届く物資も次第に増えてきてはいたものの、商品を選ぶ自由がほとんどなく「支給されたものをありがたく使わせていただく」という感覚が当たり前のようになっていた。
金沢市内のコンビニの豊富な品揃えと好みの商品を選べる自由さがキラキラ輝いて見えたそうです。
さらに東京へ着いて、コンビニに立ち寄ったところ、金沢のコンビニよりもさらにキラキラ輝きが増したように感じたとのこと。
その瞬間「なんでも自分の好きなものを選んでいい」ということにものすごい拒否感を感じたそうです。
この時、3件コンビニ入ったものの拒否感がすごくて何も買えなくて、4件目でなんとか買い物ができたとのこと。(でも何を買ったのかまったく覚えていないとのこと)
旦那さまからも「大変だったね。何でも好きなものを食べていいよ」と言われるし、いたわってくれているのも理解してはいるけれど、そもそも「選べる」贅沢を拒否したい気持ちになるとのこと。
むしろ「今日は、これです!」「これしかありません!」と言われて受け入れる方がいい...と感じるとのこと。
避難所生活になって3週間ぶりにやっとお風呂に入れた時、自分が痩せ細っていることに気づいた。体重の減少は3kgほどだったが、それ以上に骨ばっているように感じ、それは今でも戻っていない。
香庵の診断・分析
G様のお話の内容は、不安感の種類やコンビニで感じた拒否感など、日常ではあまり多くの人が感じることのない「感情」だったかもしれません。
でも、今のG様にとって、その感情を少しでも吐き出せる場を作ることが必要でした。
話すことは心の中のもやもやを「放す」ことにつながる、とも言います。
全身がカチコチになって緊張してリラックスできない状態でしたが、話すことで「リラックスしていいんだ」「安心して居ていいんだ」ということを本能の部分に働きかけることが鍼灸治療の第1ステップとして必要だと分析しました。
施術内容と経過
鍼灸治療の基本診断からも緊急事態に備えて、常に神経が張り詰めた状態が現れていました。それは、生き抜くための判断力や決断力をフル稼働していつでも動ける状態でいよう、とする心とからだの反応でした。
でも、同時にそのことに疲れ切ってエネルギー切れを起こしている状態も現れていました。これは全身がカチコチになって(コリが強く)て血流が滞り、回復力が発揮できないサインでした。
まずは、エネルギーをチャージして回復力を発揮しやすくなるツボに鍼をしました。G様の心とからだに現れている症状から、鍼の刺激はごく軽い刺激のみで行いました。
からだのチカラが抜けて、リラックスしやすくなるように整えていきました。
おからだ全体から、特にコリが強い小さなパーツ(首、肩、背中など)へと細やかに診ていきながらお身体の緊張をゆるめていきました。
施術後「なんだかめちゃくちゃ眠くなってきました。そういえば、眠いはずなのに眠れなかったり、途中で起きたりしてぐっすり眠ることがなかったです。」とG様。
避難所生活では、当初は特に老若男女問わず同じ建物、同じ室内に雑魚寝状態でプライバシーはないも同然で......夜寝るときも怖かったそうです。
「安心して眠っていいんだよ~」って優しくご自身に教えてあげるつもりで、少しづつでもいいので眠れるといいですね。というお話をして施術を終了しました。
治療の振り返り・院長より
G様は東京に戻って普段の生活に「外見上は」戻られました。
しかし、テレビやインターネットで流れてくる能登半島の地震の動画や画像を繰り返し見ていると気持ちがザワザワして不安感や焦燥感などを感じて落ち着かなくなるとのこと。(その後、なるべくそうした動画や画像は見ないようにしたそうです)
地震が起きた時から避難所生活や東京へ戻ってきてからの生活も記憶が所々抜けていて、今でも時間の流れがよく分からなくなるとのこと。
非現実感を進んでいるような感じで、避難所生活と東京の生活、どちらが本当の生活なのか分からなくなる感覚、とも仰っていました。
怖い…とか、悲しい…とかだけではおさめられないほどの大きな出来事を体験された方にとって、感覚や記憶がボヤけたりすることは、自分の心とからだを守るための行動のひとつのようです。
G様にとって、心もからだもショック状態がまだ続いていると感じました。
1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災で被災経験のある方が「能登半島地震をテレビで見ていて、当時のことがフラッシュバックして苦しくなった」とおっしゃっていました。
時間の経過とともに日常生活に戻っていくとしても、ふとした時に突然地震の時のことを思い出して、当時の心の状態がよみがえったりすることもあるようです。
今後、3か月、半年、1年....と時間の経過とともに、G様の心とからだの状態に寄り添えるような鍼灸治療でサポートができたらいいな、と思いました。
G様、また次回、来院されたときにお話しをお聞かせくださいね!
お待ちいたしております。
いつもご利用ありがとうございます。
五反田の鍼灸院 香庵(かのん)について
当院の院長、加藤は国家資格を取得しております・鍼師(2000年~)・灸師(2000年~)・あん摩マッサージ指圧師(2000年~)また、第43回日本伝統鍼灸学会学術大会、世界鍼灸学会連合会学術大会WFASなどにて発表経験もあり、研究成果の発表も行っております。
場所:東京都品川区大崎5-4-7ハイツ五反田203号
五反田駅をご利用の方
JR山手線・都営浅草線 五反田駅西口改札 徒歩5~7分(約500m)